東アジア近代は西欧近代への編入・植民地化、日本の植民地帝国化、アジア・太平洋戦争、日本帝国崩壊、解放と占領、韓国・台湾での白色テロや中国での内戦、冷戦構造下による対立と朝鮮戦争という激動の時代であった。その中で人びとは様々な経験を経たが、とりわけ植民地経験、戦争経験、日本人の引揚げや内地や満洲からの朝鮮や台湾の人びとの送還/引揚げ、4.3事件後や朝鮮戦争と「密航」、2.28事件と内地への再移動等々といった帝国崩壊前後の経験は深刻であり、それらは庶民の記憶に刻印され、抑圧/封印されてきた。このような抑圧されてきた記憶は、80年代の民主化や冷戦崩壊後に語り出され、多数蓄積されてきた。本研究は、(1)東アジアにおけるそれらの経験に関するオーラルヒストリーを聞き取り、その作品を収集し、比較研究を行う。また同時に、(2)日韓台を中心にオーラルヒストリー研究ネットワークを構築し、(3)「東アジア・オーラルヒストリー・アーカイヴ」の構築を目指す。
Ⅰ.研究目的
東アジア近代は人びとに様々な近代経験をもたらした。とりわけ日本の植民地帝国化、アジア・太平洋戦争、日本帝国崩壊と植民地の解放とその後の混乱は人びとに劇的な経験をもたらした。日本の植民地帝国化に伴う植民地経験、アジア・太平洋戦争に伴う戦争経験、日本人の植民地からの引揚経験や被占領経験、内地や満洲からの朝鮮人の送還や引揚げとともに済州4.3事件(1948年)や朝鮮戦争に伴う日本への「密航」、台湾の中華民国化と2.28事件(1947年)という「ポストコロニアルな経験」は、東アジア各国の庶民の記憶に強く刻印され、それらは長らく抑圧/封印されてきた。
だが、1991年8月14日の韓国の日本軍元「慰安婦」であった金学順のカミングアウトに象徴されるように、抑圧されてきたこれらの経験に関する語りは、社会の民主化や冷戦体制の崩壊によって、時には密かに、時には声高に語り直されてきた。それは、台湾におけるポストコロニアルな経験が、1986年以降の民主化によって語りだされてきたことと軌を一にする。一方で、日本における語りはずっと早い段階から戦争の被害の体験や植民地からの引揚げ体験などが被害の語りとして主に行われてきた。だが、1972年の日中国交の正常化によって日中戦争や中国残留孤児に関する語り(オーラルヒストリー)が解き放たれ、90年代には日本軍「慰安婦」の語りが注目されてきた。すなわち、90年代以降、東アジアにおけるポストコロニアルな経験の「語りの場」が形成されてきたと言えよう。
韓国や台湾におけるポストコロニアルな経験の語りは、ややもするとナショナリズムに強く規定されていると認識されてきた。だが、日本の引揚げ経験などを主な研究対象としてきた私たちには新鮮な視点をもたらしたし、日本での日本軍「慰安婦」への対抗的な語りはナショナリズムに強く規定されている。そもそも、オーラルヒストリーはナショナリズムや言説空間の影響から免れにくく「素朴な語り」は難しいが、そのような語りを規定する諸要因や傾向を丹念に読み解いて突き合せれば、オーラルヒストリーの比較研究は大きな可能性をもたらすのではないかと考える。オーラルヒストリーという方法が高度に精緻化されたいま、東アジア・オーラルヒストリーの比較研究を企画することは、語りをめぐる諸要因の分析から、言説空間の構造と変容、語りを規定するメカニズムを解明し、東アジアにおける相互理解と豊かな歴史認識をもたらす可能性のある挑戦だと思う。
Ⅱ.研究の方法・基本的分析枠組み
A.経験の語りの基本的既定要因
蘭は「オーラルヒストリーの展開と課題−歴史学と社会学の狭間から」(2015)において、欧米や日本におけるオーラルヒストリーの展開を題材に、日本における戦前からの聞き書きの伝統と、戦後の英米による影響、歴史学と社会学における基本的視座や方法論の差異などを詳細に論じた。その結果、オーラルヒストリーの語りは(a)出来事が体験された「あのとき-あそこで」の記憶とともに、(b)その後の出来事をめぐる当該社会、当該集団での「記憶の政治学」によって規定されるし、さらには(c)「いま-ここで」の社会的文脈や、具体的に誰がその語りを聞きとるかによっても規定されるという多層で複雑な規定要因のなかにある。
B.ポストコロニアル経験の基底要因
ポストコロニアルな経験は、基本的に国内の問題だけでなく、日本対韓国や台湾といった加害・被害という関係性によって規定されて、そのためナショナリズムが介在してくる場合が多い。しかもそれだけではなく、帝国崩壊後の政治状況やそれぞれの社会の在り方によっても強く規定される。というのも、植民地期の状況とその後のポストコロニアルな状況が加味されたなかでこれらの出来事は生じているからだ。したがって、それらは単純な加害被害関係だけでなく、様々に輻輳する関係性によって規定されており、その語りは一様ではなく、帝国対植民地、階層、ジェンダー、エスニシティ等によって既定される。
C.ポストコロニアルな経験の語りから開ける国際比較研究の可能性
ポストコロニアルな経験は一国での経験ではなく、複数の国がかかわる歴史的な文脈を持った経験である。そのために、複雑な語りの構造を持つが、それゆえにこそその研究は必然的に二国間の研究、多国間の研究に拡大される。そもそも、基本的にオーラルヒストリーは、個人の経験の語りでありながら、集団の語り(モデルストーリー)や社会の語り(マスターナラティヴ)との相互規定によって規定されている。そこに多国間の関係が絡むとナショナリズムによる規定性はより強く介在するが、二国間の関係性がそこから見えてくる。
D.比較研究の基本的な視点
韓国や台湾におけるオーラルヒストリーの展開、具体的なトピックの違いなどを明らかとし、日本・韓国・台湾のオーラルヒストリーの比較分析を行うために以下7点を基準とする。
(1)それぞれの作品群におけるトピックと具体的に語られた内容の分析
(2)同時にその語られ方の分析、すなわち語りに見られる構造の分析
(3)語られる社会的文脈、動機の語彙、基本的な語りとその多様性・多声性の在り様の分析
(4)モデルストーリーやマスターナラティヴやナショナリズムと語りの関連の仕方の分析
(5)各国のオーラルヒストリー作品に輻輳する加害・被害と経験の語られ方の比較
(6)各国のオーラルヒストリーの展開史、方法論の変化・多様性・方法論の確立、言語論的転回に関する基本的視座等を明確化すること
(7)以上の基本的な視座を、韓国・台湾の研究者との国際共同研究を通じた議論によって、東アジア・オーラルヒストリーの比較基準を作成し、より完成度の高い比較研究を目指す。